2014年7月20日日曜日

ハウンター




特に期待せず観たら割と面白かった作品。トレイラーも観ないレベルに前情報を入れることなく観たのが良かったのかもしれません。
お話自体はそこまで独創的ではないかもしれないけれど主人公のポジションが特殊だったのでけっこう楽しめました。
お話のノリとしてはホラーとかサスペンスとかいうより児童書にありそうなネタだなあとか。別にラブロマンス要素とかはないけど、ところどころが主人公である高校生くらいの少女と同年代向けに作ってある感じがしたので海外ヤングアダルト系小説を読むのが趣味の人は楽しめるかもしれません。



以下全編に渡るネタバレが含まれます












まず冒頭は、主人公が毎日16歳の誕生日の前日を繰り返していることに気づく、というループ物を思わせる始まり方をします。ループ物は大抵「いかにしてループから抜け出して日常に戻るか」という目的に向けて進行していくのですが、この主人公はどうも自分たち家族は既に死んでいるのではないかという結論に達します。わりと序盤の方だったので主人公の思い込みで別にそういうわけじゃないオチがつくのかと思いきやマジで死んでいました。どおりで主人公の瞳孔が開きっぱなしだと思った……
某有名スパニッシュホラーならこの時点で衝撃のラストであり「ここがリンボでないならどこなんだろう……」とか言いながら完なのですが、このお話ではまだ結構な序盤なので、戻るべき日常はないものの舞台となる家には主人公の属する亡霊一家以外にも沢山の亡霊が家に憑いており、更に主人公の死(80年代)から数十年の時を経た「現在」の一家もまた危機にさらされていることが分かり、主人公は自分と同じように最期の一日を繰り返し続ける霊たちの救済と、自分に助けを求める「現在」の少女一家を助けるために、そして自分たちを殺した犯人に報復するために奔走することになります。

この「最期の一日を繰り返し続ける亡霊」っていうのはハウフの『隊商』にある幽霊船の話とかにも出てくるんですけど西洋の幽霊モノ界隈ではけっこう普通のことなんですかね。

犯人というのはどうも主人公の家の前の所有者であり、少年時代に両親を殺してその後もたくさんの少女たちを誘拐して殺し、死後もその家に住んだ人々をとりころして魂をコレクションしているようです。一家心中がおこったような築数十年の家を普通に売るなよ、買うなよ、と思わなくもないんですがとんでもないいわくつきの家が普通に売られているのがホラー映画フィールドなのでその辺はまあ仕方ないです。犯人の背景は断片的な映像などで示されるだけなのですが、それもまあ犯人について細部まで理解する必要はないからでしょう。何故自分の死後も魂コレクションができたのかとか微妙に謎ですがこのお話は幽霊少女が現代の少女を救うために奮闘するってところが重要な話なのでその辺もまた些細なことです。

何かしらの原因で現在と過去が繋がり、同じくらいの年ごろの子供たちが交流して、それで何かしら問題解決とか成長っていうのは先にも触れたとおり児童書で非常に多いネタです。古典では『トムは真夜中の庭で』とか、最近の作品では『チェンジリング・チャイルド』とか。ただ当然のことながら普通は感情移入しやすいように「現代」の子供を主人公にすることが多いです。死亡済みの80年代少女の視点で現代の少女を助けに行くというのはなかなか面白かったです。
主人公は家族全員が自分たちの死に気付いた時点で成仏することもできたはずなのに、他の魂や「現代」の少女を救うべく立ち上がる姿は無駄に英雄的でした。別にそこまで「現代」の少女と交流があったわけでもないのでその辺りの動機づけはちょっと弱かったような気もします。
自分たちはもう数十年前に死んでるんだから別に犯人を斃したところで生き返れるわけではないのですが、その色々詰んでる状態に絶望するよりも「もう死んでるからこれ以上何ともない」と清々しい開き直りかたで危険につっこんでいく主人公は素晴らしいです。

細かい疑問点は残りつつオチも割とハッピーエンドなので清々しくみられました。 この手のオチは割と宗教観の差によって意見が割れたりするのですが、この話はもうスタート地点から死んでるのでけっこうどういう立場から見てもハッピーエンドになるんじゃないかと思います。


演出次第でいくらでもつまらなくなりそうなお話なのに割と全編楽しめたのでけっこう上手い作品だと思います。

気になった点は
・ピーターと狼がすごい緊張感そいでくる
・主人公の服に顔がついてる
の二点です。
ピーターと狼はなんかわざとかなって気もするんですけど、主人公の服についてる顔がちょくちょくガラスに映り込んだり暗闇で浮いたりしてそこが無駄にホラーっぽいんであの服じゃないほうが良かったんじゃないかと思う次第です。なんか80年代に流行してた服だったりするんだろうか。



  

2014年7月6日日曜日

ミュンヘン




この作品について「『プライベート・ライアン』の冒頭20分が最後まで続く映画」って解説を目にしたんですが『ブラックホーク・ダウン』で一言一句変わらぬ解説を目にしたことがある気がします。
もっとも『プライベート・ライアン』の監督と『ミュンヘン』の監督は同じスピルバーグなのでむしろその名を冠せられるのはこっちが正しいのでしょう。
『ブラックホーク・ダウン』は『プライベート・ライアン』を見てテンション上がったリドリー・スコットが撮ったって説を聞いたんですけど、『ミュンヘン』の主演は『ブラックホーク・ダウン』のほうでそこそこ重要な役だったエリック・バナなので
 『プライベート・ライアン』(1998)→『ブラックホーク・ダウン』(2001)→『ミュンヘン』(2005) 
の三作品の間で二人の巨匠による何かしら高度なキャッチボールが行われている可能性もあるかもしれません。気のせいかもしれません。

『ミュンヘン』はミュンヘンオリンピック事件の話……ではなくミュンヘンオリンピック事件の後、事件に関与したと思われる人々をモサドの暗殺部隊が暗殺していく話です。舞台もミュンヘンではなくパリとかその辺です(一応プロローグでミュンヘンオリンピック事件の話もやる)。

個人的にミュンヘンオリンピック事件について知ったのがけっこう最近で、生まれるよりかなり前のことではあるにしてもこれほどまでの大事件について知らなかったということを恥じてこの作品を手に取ったんですが、学校で同年代の人たちに聞いても皆一様にこの事件のことを知らなかったため、なんかやっぱりタブー視されてるところがあるのかなと思ったりしました。

 

色々と議論を呼んだという政治的な話とか史実との云々はとりあえず置いて作品についてだけ。



164分とけっこう長く、内容も連綿と続く暗殺と主人公たちの苦悩なのであんまり楽しい感じではないのですが全く苦にならずに観られて、スピルバーグ作品を観たのは初めてだったのですがさすが巨匠は違うなと思いました。でももっとE.Tとかを先に観たほうが良かったような気もしました。

息詰まるような暗殺作戦、主人公のお料理タイム、暗殺作戦、主人公とマフィア的な何かのお料理タイム、暗殺作戦、みたいなバランスの良さが素晴らしいです。
後半になって仲間たちが付け狙われていくあたりは割とすごい勢いでメンバーが減って行ってびっくりしました。 この物語は主人公たちが全ての計画を果たしきるところでは終わらないし、始まりもまた遥か昔から続く対立の一部にすぎないし、この物語が終わった後でも報復の連鎖は続いていく。その流れから身を引いて外側で平和に生きようとするアヴナーは、主人公とかヒーローというよりも大河ものの語り手担当みたいなポジションに近いような気がします。まあ実際原作はアヴナーさんのポジションにあった人が事実として書いた本なわけで当然と言えば当然なのですが。

アヴナーはバルボッサみたいな上司に「お前は街の中で目立たないから選んだ」的なことを言われてましたが『トロイ』の直後くらいなこともあってかエリック・バナはギリシア神話みたいな身体をしています。服越しでも胸筋がすごいし身長もあるので街中で目立たないとか絶対嘘だと思います。まあ街のシーンで主人公がどこにいるのか完全に分からなくなっても困るんですけど。
このガタイで趣味がお料理って設定はどうなんだと思ったらちゃんとそこもきっちり拾われていてすごいなと。

あと最後のベッドシーンは頭おかしいと思う










フリア よみがえり少女



 原題は『Dictado』で、これは作中でそこそこ重要な要素である「書き取り歌」の意。

ジャケットのアオリに『エスター』のタイトルが出ていて、確かに
「流産した夫婦が迎えた養子がなんか変でおかしなことに」
ってあたりはエスターっぽくもあります。 もう既に二人子供がいるのに結構大きい子供を赤ん坊の代わりにもらってくる『エスター』と比べれば、子供を望んでも得られない夫婦が自殺した知り合いの子を引き取る『フリア』のほうがわりと自然な導入な気もします。
 でも内容は『エスター』とは全然違う……というか概ね『ロスト・メモリー』です。 両方とも2012年の映画なのでどちらかがどちらかのパクリとかではなくて偶然被っただけだとは思いますが。



  以下、『フリア』『ロスト・メモリー』両方の核心部のネタバレを含みます














『フリア』と『ロスト・メモリー』はどちらもごく簡単に書くと、遊びの延長で少女殺しの罪を背負ってしまった二人の子供が成長し、当時の自分たちと同じくらいの年齢の子供ができるほどの年齢になった頃に、忘れようとしていた過去の罪を断罪される話です。
片方が先に始末されてもう片方が主人公だったり殺した相手が蘇ったかのような展開になったり殺害方法が穴に落とすだったり風呂に沈んだり風呂で手首切ったり色々とよく似ています。
大きく異なる点は主人公の性別(『フリア』は男性、『ロスト・メモリー』は女性)と、 「報復者」が誰であるかというところです。

主人公の性別は「母親」であるか否かくらいしか差はないと思います。
「報復者」については、明確な殺意を持った人物が糸を引いていた『ロスト・メモリー』と違い、偶然の連続によって過去が暴かれていく『フリア』は、結局のところ主人公が自分自身に追い詰められていった部分が大きいです。


 個人的に幼い頃の罪に苛まれて悶々とする主人公を見ているのはそんなに好きじゃないので、いっそのこと昔の罪のことを何も悪いとは思ってないくらい吹っ切れたサイコ野郎が主人公でも面白いんじゃないかと思うのですが、『フリア』の主人公は少しだけ開き直ったようなところもありながらサイコにもなりきれない中途半端な感じでそこがちょっと微妙でした。救済を求めるようなことを言い出すくらいなら最後は自分で身を投げるくらいしてほしかったです。


主人公が「父親になれない男性」なので見ている間はあまりそんな感じがしなかったのですが、物語を動かしている要素は結局のところ「母子の愛」によるところが大きいので、主人公ともう一人の少年を「母親に愛されなかった子」として見たりすると色々と変わってくるかもしれません。しかし残念ながら彼が流れ星に何を願ったのか考え込むほどに主人公に感情移入できませんでした。



 さらっと見られて疲れないのは『フリア』ですが、 どちらか片方見るならオチの段数が多い『ロスト・メモリー』のほうをお勧めします。